2011年11月09日
がんばった錦織圭選手(^^)!
すごいなあ、と思います。松岡修造さんを抜いて日本人の最高ランクに上ったことは、まず何と言っても凄い!の一言です(^^)。本当におめでとうございます!(^^)v。プロジェクト45は、来年はプロジェクト24て名前になるのかな(^^)?。
それから、いろいろなケガに悩まされながら、それを克服してココまで来たのが、何だかとても励まされます。
いい選手って、体が追いついていないのに、イメージ通りに体が動かせちゃうので、ケガも多いんだってお医者さんに言われたことがあります。1回や2回なら平気でもそれを何度も日常的にやると、どこかで体が悲鳴を上げる。それを早く治しながら、ココまで来たことは凄いコトだとあらためて思います。骨折や腹筋を痛めたり、錦織選手のケガは、わりと大きいのが多かったですから。
僕は、去年の夏、お医者さんに肘が剥離骨折しそうだからという理由でドクターストップをかけられたコトがあります。せっかくの夏の唯一のG4Aの大会の前に、もの凄くガッカリしました。しかし、その時、父が先生に訊いてくれたんです。
父:「小学4年からポリポリのガットでやり続けて来たのが影響してるんでしょうか。ずーっと、テンションには気をつけていたんですが、やはり55ポンドは少し早かったのでしょうか?」
先生:「えっ?。ポリエステルのハイブリッドで張ってらっしゃるんですか?。しかも小6で55?。よく今まで折れませんでしたね。それじゃ、思い切って2週間まるまる休んでごらん。それだけ出来たんなら、回復すれば、益々強くなるかも知れないよ。」
弱った部分は体が治そうとするので、場合によってはかえって強くなることもあるそうなんです。ただ、あまり無理はしない方がいいからと、しばらくはテンションを抑えよう、ということになりました。2週間後に復帰しました。そして、その後2ヶ月はテンションを50ポンド前後に落としました。一時期テニスが乱れましたが、ガットのテンションを弱くしたので飛び過ぎたのが原因でした。
強く張ると飛ぶ、という常識は経験してみて、ひっくり返りました。そして、42~45を越えると、だんだん飛ばなくなることが解りました。今は、当たり前に解ることですが、当時は「なんかおかしい」としばらく腑に落ちなかったのを覚えています。パワーが付いて来ると、球をどうやって抑えるかが難しいですけど、小学生の頃は、どうやってネットを越すかが大切なので飛ぶ張り方をしていたことに気づき納得したのを覚えています。
全てのプレーには、原因と結果がついて回ります。それを客観的に見られるかどうかが、いい選手と普通の選手の違いだと思います。客観的に見る、というのを小学4年生でまだよく解らなかった時、父はこんなふうに教えてくれました。
「相手コートの相手の立ってる所の後ろに、こっちを向いている自分の分身を飛ばすイメージを持ってごらん。そうすると、自分がやってることがどんなことか見えるようになるんだ。父はマウンドでバッターにボールを投げる時、審判の後ろに自分の分身を飛ばすイメージを持ってた。今にして思えば、どうしてバッターの目線で、自分のコトを客観的に見ようとしないで、審判の後ろだったのか、よく解らない。多分、バックネットからの、テレビ中継の映像のイメージだったんだろうな(^^)」。おかげでそういう練習は4年の頃からやっていました。出来るようになったのは、6年の時ですけど・・・(^^)。
そして、今回の肘痛はシングル・ハンドバックで、ショートクロスや角度を付けたショットを練習していたのが原因だと自分で解っています。僕の腕の細さではまだ厳しいだろう、と父が言うのを聞かず、カッコよさと、守備範囲を広げるために秘かに練習していました。ガットのテンションも57.5に上げていました。今まで両手で打っていたところを、右腕に掛かる比重をドンドン上げていたのですから、右手が悲鳴を上げた訳です。
理由が解っているので、対策も出来ます。それに痛めた所はケアするようになるので、場合によってはもっと強くするコトが可能です。体との付き合い方を考え始めたのが小学生のうちで本当によかったと思います。今は、体をケアすることも練習だという意識がハッキリと出来たので、やり過ぎて体を壊すことはない、と断言出来ます。コート上でのプレーはやらないで、そういう時にインサイド・テニスを学びます。どういう時にはどう対処すべきか、とか、日頃、わかっていても言葉にはあまりしないコトを書いたり話したりして、頭を整理します。
実は、この時間はとても貴重です。体のケアをしながらメンタル的にも強くなれる。そして、オン・コートではありませんがこれもちゃんとした練習なので、焦りが無くなります。今、教わっているコーチもそういうことをわかっているコーチなので、出来る範囲でのメニューを考えてくれたりします。それから、そのケガをしている時は、こんな練習はよくないとか教えてくれます。思い切って何もしないで休んでみろ、と言われたコトもあります。そういう時は治りも早いんです(^^)。だから、ケガは恐くありません。
『Baby Steps』で、青井コーチが試合後、主人公のエーちゃんに練習方法を聞きに来た第4シードの高木朔夜に対して、「一応言っとくけど、こいつのしてることを、そのまま真似しても、強くなれるとは限らないよ」という台詞があります。「だって君と丸尾(こいつ・つまりエーちゃん)は性格も違えば体格も違うんだから」。そして、自分を知るように努めて、自分に合った練習をして、自分なりのテニスを模索してる、と告げます。高木くんはそれを聞いて、自分は難波江君と張り合って練習のメニューを決めていたことに気付きます。
今回の錦織選手の記録達成には、世界のニック・ボロテリーの素晴らしいコーチ達がそういう面も含めて、錦織選手を支えて来た結果だと思うんです。だから凄いと思います。錦織選手もケガは多いですもんね^^;。彼も天才的なプレーヤーですから、体が悲鳴を上げるようなプレーをたくさんしているんだと思います。でも、そのケガに向き合って来た結果が、より強い錦織選手を作ったと思います。
普通、マイナスに見える部分をプラスに変えるコトが出来る選手。それが錦織圭選手だと思うんです。だから、日本のトップになった。僕も負けずにそういうところを見習って、世界で戦えるようになりたい!と思います。
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それから、いろいろなケガに悩まされながら、それを克服してココまで来たのが、何だかとても励まされます。
いい選手って、体が追いついていないのに、イメージ通りに体が動かせちゃうので、ケガも多いんだってお医者さんに言われたことがあります。1回や2回なら平気でもそれを何度も日常的にやると、どこかで体が悲鳴を上げる。それを早く治しながら、ココまで来たことは凄いコトだとあらためて思います。骨折や腹筋を痛めたり、錦織選手のケガは、わりと大きいのが多かったですから。
僕は、去年の夏、お医者さんに肘が剥離骨折しそうだからという理由でドクターストップをかけられたコトがあります。せっかくの夏の唯一のG4Aの大会の前に、もの凄くガッカリしました。しかし、その時、父が先生に訊いてくれたんです。
父:「小学4年からポリポリのガットでやり続けて来たのが影響してるんでしょうか。ずーっと、テンションには気をつけていたんですが、やはり55ポンドは少し早かったのでしょうか?」
先生:「えっ?。ポリエステルのハイブリッドで張ってらっしゃるんですか?。しかも小6で55?。よく今まで折れませんでしたね。それじゃ、思い切って2週間まるまる休んでごらん。それだけ出来たんなら、回復すれば、益々強くなるかも知れないよ。」
弱った部分は体が治そうとするので、場合によってはかえって強くなることもあるそうなんです。ただ、あまり無理はしない方がいいからと、しばらくはテンションを抑えよう、ということになりました。2週間後に復帰しました。そして、その後2ヶ月はテンションを50ポンド前後に落としました。一時期テニスが乱れましたが、ガットのテンションを弱くしたので飛び過ぎたのが原因でした。
強く張ると飛ぶ、という常識は経験してみて、ひっくり返りました。そして、42~45を越えると、だんだん飛ばなくなることが解りました。今は、当たり前に解ることですが、当時は「なんかおかしい」としばらく腑に落ちなかったのを覚えています。パワーが付いて来ると、球をどうやって抑えるかが難しいですけど、小学生の頃は、どうやってネットを越すかが大切なので飛ぶ張り方をしていたことに気づき納得したのを覚えています。
全てのプレーには、原因と結果がついて回ります。それを客観的に見られるかどうかが、いい選手と普通の選手の違いだと思います。客観的に見る、というのを小学4年生でまだよく解らなかった時、父はこんなふうに教えてくれました。
「相手コートの相手の立ってる所の後ろに、こっちを向いている自分の分身を飛ばすイメージを持ってごらん。そうすると、自分がやってることがどんなことか見えるようになるんだ。父はマウンドでバッターにボールを投げる時、審判の後ろに自分の分身を飛ばすイメージを持ってた。今にして思えば、どうしてバッターの目線で、自分のコトを客観的に見ようとしないで、審判の後ろだったのか、よく解らない。多分、バックネットからの、テレビ中継の映像のイメージだったんだろうな(^^)」。おかげでそういう練習は4年の頃からやっていました。出来るようになったのは、6年の時ですけど・・・(^^)。
そして、今回の肘痛はシングル・ハンドバックで、ショートクロスや角度を付けたショットを練習していたのが原因だと自分で解っています。僕の腕の細さではまだ厳しいだろう、と父が言うのを聞かず、カッコよさと、守備範囲を広げるために秘かに練習していました。ガットのテンションも57.5に上げていました。今まで両手で打っていたところを、右腕に掛かる比重をドンドン上げていたのですから、右手が悲鳴を上げた訳です。
理由が解っているので、対策も出来ます。それに痛めた所はケアするようになるので、場合によってはもっと強くするコトが可能です。体との付き合い方を考え始めたのが小学生のうちで本当によかったと思います。今は、体をケアすることも練習だという意識がハッキリと出来たので、やり過ぎて体を壊すことはない、と断言出来ます。コート上でのプレーはやらないで、そういう時にインサイド・テニスを学びます。どういう時にはどう対処すべきか、とか、日頃、わかっていても言葉にはあまりしないコトを書いたり話したりして、頭を整理します。
実は、この時間はとても貴重です。体のケアをしながらメンタル的にも強くなれる。そして、オン・コートではありませんがこれもちゃんとした練習なので、焦りが無くなります。今、教わっているコーチもそういうことをわかっているコーチなので、出来る範囲でのメニューを考えてくれたりします。それから、そのケガをしている時は、こんな練習はよくないとか教えてくれます。思い切って何もしないで休んでみろ、と言われたコトもあります。そういう時は治りも早いんです(^^)。だから、ケガは恐くありません。
『Baby Steps』で、青井コーチが試合後、主人公のエーちゃんに練習方法を聞きに来た第4シードの高木朔夜に対して、「一応言っとくけど、こいつのしてることを、そのまま真似しても、強くなれるとは限らないよ」という台詞があります。「だって君と丸尾(こいつ・つまりエーちゃん)は性格も違えば体格も違うんだから」。そして、自分を知るように努めて、自分に合った練習をして、自分なりのテニスを模索してる、と告げます。高木くんはそれを聞いて、自分は難波江君と張り合って練習のメニューを決めていたことに気付きます。
今回の錦織選手の記録達成には、世界のニック・ボロテリーの素晴らしいコーチ達がそういう面も含めて、錦織選手を支えて来た結果だと思うんです。だから凄いと思います。錦織選手もケガは多いですもんね^^;。彼も天才的なプレーヤーですから、体が悲鳴を上げるようなプレーをたくさんしているんだと思います。でも、そのケガに向き合って来た結果が、より強い錦織選手を作ったと思います。
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2011年02月18日
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